「消極的見通し」という物事が思うようにならないための失望

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「人にこうしてほしい」という願望を捨てれば、幸運が来る

受け身の次の特徴は、「消極的見通し」です。彼らは早々と将来を悲観してしまったのです。

追い詰められた時に人はどう対処するか? 状況をダメだと思う人と、自分の信 念で生き延びようとする人がいます。

絶海の 孤島に一人残されてしまった状況は、誰が見ても絶望する状況です。しかし、生き延びたという例もあります。 「ロビンソン・クルーソー、はこうして幸運をつかんだ」と、自分を奮いたたせる人もいるかもしれません。 もしかすると、末期ガンになっても、ロビンソン・クルーソー を読んで、 ロビンソン・クルーソーはこうして死を免れた」と生き延びようとする人もいるかもしれません。

ロビンソン・クルーソー を考えれば、どんなに苦しくても現実に絶望してはいけません。

生きることに疲れた人も、いまは休んで、エネルギーが回復するのを待つことです。いまあることを素直に受けとめていれば、いつか幸運が来るでしょう。

未来を信じれば、新しい行動が生まれるかもしれません。「人にこうしてほしい」という願望を捨てることです。ただ捨てること、その時に幸運が来ます。しかし うつ病 になるような人は、自己執着が強いから、「ただ捨てること」といってもなかなか捨てられないでしょう。そして未来を信じることができません。

苦しみを訴えるだけで解決を考えない

ある人が耳鳴りで苦しくなって耳鼻咽喉科を受診しました。耳鼻科のお医者さんは、この耳鳴りは治らないと言いました。そして絶望しました。別の人が同じように耳鳴りになりました。

やはり耳鼻科のお医者さんに治らないと宣告しました。そう言われた時に、「この耳鳴りは治らない」と思う人と、「いや治る」と思う人の2通りがいます。

この違いが悲観主義と楽観主義の違いです。生きるエネルギーのある人は「治る」と思う。だから努力します。たとえば食事を変えてみでしょう。しかし、生きることに疲れた人は「この病気は治らない」と考えがちです。

生きることに疲れた人が疲れたままで「自分のこの病気」のことを考えるのと、生きることに疲れていない人が「自分のこの病気」のことを考えるのとでは、「重さ」が違います。

この耳鳴りが治ったらこんな良いことがあると思う人と、そうでない人とでは、耳鳴りを治そうと思う気持ちが違います。

「自分の耳鳴りは治らない」と騒いでいる人は、愛情欲求の激しい人です。苦しみを訴えることで注目と同情を求めているのです。苦しみの訴えは愛情要求であり、同時に愛情確認行為です。

訴えるだけでもちろん解決は考えていません。解決を考えることは現実に直面していくことになります。しかしそこまではしんどくてハードルが高いのです。

消極的見通しは事態を悪化させてしまいます

通常の場合、消極的見通しを立てることで事態はより悪くなります。職場をクビになるかもしれないと思うことがストレスを与えます。現実にクビにならないとしても、クビになるかもしれないと脅えることがストレスとなります。そのストレスで消耗するのです。

恋人に捨てられるかもしれないと脅えることがストレスになります。そしてそのストレスで消耗し、魅力がなくなって捨てられるかもしれません。

そのように脅えなければストレスで消耗はしないのです。消耗しなければ捨てられなかったかもしれないのです。消極的見通しの心理的影響ははかり知れません。消極的見通しは希望を奪い、心理的打撃となってしまいます。

現実に職場をクビになることよりも、時には長く「リストラにあうかもしれない」と脅えることで働けなくなることもあります。消極的見通しを持つ人は、とにかくいまここで自分のできることを始めてみようとしません。

生きることに疲れた人やうつ病になるような人は、「この際だからやってみよう」という元気がないのです。よく何か行動を起こすと変わるといわれますが、まさにそのとおりなんだと思います。

現代人のための心の休憩