日本ではじめて本格的な断酒会を発足させたのは、高知県の旧社会党県連合会会長で自らもアルコール依存症だった松村春繁という方です。

AAのように自らを超越した偉大な力にすべてを委ねるというのではなく「自分たちで助け合ってともに頑張ろう」というのがコンセプト。

「酒をやめることを誓います」という断酒の誓いを立て、労働組合的に仲間と手をとり合って、みんなで断酒するのです。

一方、断酒会と違ってAA では「酒をやめよう」とは誓いません。代わりに酒に対して自分は無力、つまりコントロールできないと徹底して認めようと呼びかけます。それを認めてから過去の自分を見つめ直そうと呼びかけるのです。

そして、集団の結束を高めるためにあえて「ステイグマ(差別される負の刻印)」をアピールします。世間的にネガティブな熔印を押されたほうが、集団の結束は強くなるからです。

そのために「私たちは他の人とは違う。酒を飲んだら止まらなくなるのが私たちの体質であり、その体質と一生つき合う定めなのだ」と強調するのです。AAと断酒会にはそれぞれ善し悪しがありますし、合う合わないもありますから、当事者は自分に合う自助グループを選ぶことになります。

アルコール依存症の人のための教科書

ギャンブル依存症の自助グループについてはすでに触れましたが、歴史的にはアルコール依存症の自助グループのはうが先に登場しました。

世界初の自助グループは、いまから80年も前の1 9 3 5 年、アメリカで2 人のアルコール依存症者の出会いをきっかけに発足されました。発足から4年後には、アメリカの有名な慈善事業団体「ロックフェラー財団」から資金提供を受け、さらにアルコール依存症の克服体験を綴った本がベストセラーになったことから一気に全米へと広がりました。

この自助グループは「匿名のアルコール依存症者」という英文の頭文字を並べて「AA」と呼ばれており、同種の団体が世界中で活動しています。

日本でも戟後、本格的にA A が活動をスタートさせています。アメリカで生まれたAAはキリスト教的な考えの延長線上にあります。飲酒をコントロールできない自分に代わり、自らを超越した偉大な力(=ハイヤーパワー) にすベてを委ねるというコンセプトが基本となっています。

この「自らを超越した偉大な力にすべてを委ねる」というコンセプトは、日本人には合わないところもあります。日本人は無信心ではないにしろ、一神教ではなく多神教文化であるからです。さらにAA の匿名性も村社会がベースにある日本社会には馴染まないものでした。そこで日本では、AAとは別に「断酒会」という自助グループが生まれたのです。

アルコール依存症の人のための教科書

「両親にも妻にも大切な人にも嫌な思いをさせ、情けない思いをさせてきた。前の妻にも同じ思いをさせただろう。今度こそきちんとしようと思って再婚した相手にも、このザマかぁ... 」と自分が情けなくなりました。

その間も妻は電話口で話し続けています。そして、「ピーちゃんが死んだのも、あなたのせいよ」と繰り返しました。ピーちゃんというのは二人で飼っていた小鳥です。ヒナ鳥だったので2 時間ごとにエサをやる必要がありました。しかし、私の泥酔事件でエサやりが不定期になり、死んでしまったのです。

それも私のせいだといわれたときに「もうしやあない、断酒するしかない」と腹をくくりました。その気配を察したのか、妻は「精神病院、連れていこうか? 」と電話口でいってきました。要は「さすがにあなたがいま勤めている病院へ連れていくのは気が引けるから、別別の病院に(連れていってあげる」というのです。

私は「そんなところへ連れていかれて別の精神科医の診察を受ける恥辱よりも、自助グループへいくほうがまだマシか... 」と考えました。

後述するように、専門医の知識として自助グループでも20〜30% の確率でしか断酒できないと知っていました。しかし、自力断酒の可能性はもっと低いことも知っていました。やめると決めたら誰かに自分の無様な姿を聞いてもらうしかないと思ったのです。

甲殻類やソバなどの食物アレルギーのようにお酒を飲むと必ず発作が出るわけじゃなく、上手に飲めるときもあります。でも、最終的に求めたいのはそんな上品な酒の酔いではなく泥酔。最終的に泥酔を求めるなら、減酒では生ぬるいから完全にやめるしかない。しかし、飲もうと思ったらいつでも飲める状況で飲まないのは、ある意味地獄です。ならば、自助グループに頼るしかないと腹をくくったのです。

その翌朝、妻から「一体どういうことなの!」と強い口調で問い詰められましたが、「まぁまぁ」といなして出勤しました。これも依存症者の特徴ですが、ほとぼりが冷めるまでおとなしくしていれば許してくれるだろう、なんとかなるだろうと2、3 日酒をやめるふりをするのです。

私もそれまで酒で大きなしくじりをしでかしたときは、長年、その作戦で乗り切っできました。

ところが、このときは出勤した後、診察室で妻から携帯に電話がかかってきました。なにをぃわれるか見当がついていますから出たくありません。しかし、出ないはうがもっと恐ろしいので、妻の怒号を覚悟しつつ怖々と電話をとると「あなたはなにを考えているの? アル中がアル中を治療して恥ずかしくないの?どうしたらいいのか、自分でよく考えてみなさい」と意外にも冷静な口調で妻が語り続けます。

なんとかその場を収めたいのに、妻がなかなか電話を切ってくれないので困り果てました。そのとき、いままで自分が同じような窮地に陥り、酒のことで貢め立てられる状況が走馬灯のように浮かんできました。

20歳のときに泥酔したまま自転車に乗って転び、ケガをして救急車で病院へ運ばれたことがありました。母親が田舎から病院に駆けつけて「あんた、どうしたん。そんなに飲むはど、なにがつらいん? 」と病院のベッドの横で泣きながら語る場面からはじまり、それ以降、30年間のさまざまなみじめな出来事がフラッシュバックしてきたのでした。

気持ち悪い」などと妻から酒の飲み方を非難されると面白くありませんから、余計飲みたくなります。すると心配した妻から酒量を制限するようにいわれますから、ますます面白くなくなる 。

そんないたちどっこが続きました。そんなころに妊娠初期だった妻が流産しました。そして、たまたま飲み会が1週間に立て続けに2回予定されていました。こういう状況ですから欠席すべきところですが、内心妻に対して不満を募らせていた私は、その憂さを晴らすように二次会、三次会とはしど酒をして泥酔。最終的には夜遅くに場末の飲み屋から「おまえもこい! 」と妻に電話をかけました。

妻に飲酒させることで後ろめたさを解消させるという依存症らしいこずるい目論見です。ちなみに依存症になると、こぎれいなところで飲んでも面白くもなんともありません。飲み出すと最後は場末の飲み屋でないと落ち着かないのです。

呼び出された妻は、その場末の飲み屋まで黙ってきました。私は泥酔していますから、その場でどんな応酬があったのかまったく覚えていないのですが、あとから聞くと妻に引きずられて帰っていったそうです。

4日後の2回目の飲み会でもまた同じように飲み続け、今度はカラオケ店から「またこい! 」と妻を電話で呼び出しました。妻はまた黙ってやってきて、職場の同僚の前で再度私を引きずるように連れて帰ったといいます。私には記憶がないのです。

アルコール依存症の診断基準としては、世界保健機関(WHO )が作成した「ICD-10 」、もしくはアメリカ精神医学会による『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版である「DSM-5」を用いるのが一般的です。

項目の内容を簡略化したものを次に紹介しましょう。

【ICD-10によるアルコール依存症の診断ガイドライン】

  1. 飲酒したいという強い欲望あるいは強迫観がある
  2. 飲酒の開始、終了、あるいは飲酒量に関して行動を制御することが困難である
  3. 禁酒、節酒したときに禁断症状がでる
  4. 耐性( 以前より同等の酷酎を得るのに必要な酒量が増える)
  5. 飲酒に代わる楽しみや興味を無視し、飲酒せざるを得ない時間やその効果からの回復に要する時間が長くなる
  6. 明らかに有害な結果が起きているにもかかわらず飲酒をする

過去1 年間に以上の項目のうち、3項目以上が同時に1ヶ月以上続いたか、または繰り返し出現した場合、アルコール依存症と診断する。

アメリカ精神医学会によるDSM-5の診断基準

  1. 耐性がある
  2. 離脱症状がある
  3. 飲みはじめたときより大量に、またはより長く、しばしば飲酒する
  4. 禁酒または減酒の持続的欲求、またはその努力が成功しない
  5. アルコール入手、飲酒、または飲酒の作用からの回復に多くの時間を要する
  6. 飲酒のために重要な社会的、職業的、または娯楽的な活動を放棄するかその機会が減っている
  7. 精神的、身体的な問題が飲酒によって起こり、悪化していることを知っているにもかかわらず、飲酒を継続している

同じ12ヶ月の期間内のどこかで、以上の項目のうち3項目以上が出現した場合、アルコール使用障害と診断する。

アルコール依存症の自己診断はこちら。

私がアルコール依存症を脱するきっかけは、自助グループに入ったことです。自助グループに入るまでには次のようなストーリーがありました。

私は一度離婚しています。そして、離婚に私の飲酒の問題が関与していたことは間違いありません。その後再婚し、「心機一転頑張ろう! 生活を立て直すぞ! 」と思ったのですが、結局は飲酒の問題は変わりませんでした。

新婚当初こそ節酒を試みましたが、酒をセーブできたのは、せいぜい半年でした 。それからは勤務先の病院から帰ると、決まったパターンで焼酎を飲み続けるようになりました。

あとで聞くと、妻にとって私の酒の飲み方はとにかく不気味だったそうです。毎日ほぼ同じ時間帯に帰宅すると、じつと黙って焼酎を飲み続け、1時間後にはいつも決まった量を飲み終えて、空っぽのグラスのなかでカラカラと氷が音を立てる、トイレの回数が増える... ... 。

毎日同じパターンで飲むのがロボットのようで薄気味悪く、「私は本当に人間と暮らしているのだろうか」とぞっとしていたそうです。いつも決まった時間にまっすぐ帰ってきて、文句もいわずに妻がつくったものを食べる。酒を飲んで無口になるかもしれないけれど、大酒を飲んで暴れてちゃぶ台をひっくり返すような無茶をするわけではないのだから、そんな旦那を〝「アル中」 なんていったら可哀想... ... 。

一般的には、そう思われるかもしれません。でも、同じ屋根の下で暮らしていた妻にとっては、機械のように黙ってお酒を飲み続けているはうがぞっとするのでしょう。

晩酌が好きで毎晩酒を飲んでいる」という人は結構いらっしゃると思います。酒が好きで毎日飲んでいるだけでは依存症ではありません。アルコールに対する依存が成立してアルコールへの依存には「身体依存」と「精神依存」があります。

身体依存の自覚覚症状としては、アルコール性てんかん以外にも、酒が切れたときの手や全身の震え、大量に飲酒した翌朝の寝汗、吐き気、イライラ感、血圧の上昇、不整脈および不眠症などの「離脱症状」があります。

離脱症状はかつて「禁断症状」と呼ばれていました。つねに体内にアルコールがあることが普通になると、アルコールが抜けたときに症状が出るのです。

一方の精神依存は、飲酒がコントロールできなくなった状態です。たった1杯のつもりで飲みはじめても適量で終えることなく、泥酔するまで飲んでしまうのが典型例です。精神依存が起こると、他のなによりも酒を飲むことが優先されるようになり、生活が「飲酒中心」 にまわるようになります。

飲酒中心の生活というと朝から飲んだくれる姿を想像するかもしれませんが、それは終末像です。飲み方にかかわらず、飲酒が最高の欲望充足手段(ご褒美) になっている状態が精神依存です。また、アルコール依存症に特徴的なのは、アルコールに対する「耐性」がつくこと。

酒を飲み続けているうちに、同じ酔いを得るために必要なアルコールの量がだんだん増えてくるのです。それは「アルコールを分解する肝臓が鍛えられて強くなった! 」ということではありません。酔いを感じる脳の感受性が低下したことを意味します。

大酒飲みのための教科書

困ったことに医者には当直があります。そのころは酒がないと眠れない状態でしたが、前日に5合以上飲んだ翌日が当直だと、頭が冴えて夜中に眠れなくなります。

ですから、当直の前日は大酒を飲まないというルールを決めていました。このようにアルコール依存症に関する医学的な知識を自らの依存症を維持するために使っていたのです。アルコール性てんかんという離脱症状の前ぶれが出るくらいですから、身体的にアルコールに依存しているのは確実です。

ただし、私は飲みたくて飲んでいるのだし、医学的には身体依存があれぼ必ずアルコール依存症であるともいえません。平日と週末で飲み方を変えるなど、飲酒をコントロールできているから「オレは大丈夫だ」と医学的な知識を貼り合わせて自己正当化していました。

その半面、依存症の患者さんに向き合う医師でありながら、酒におぼれているという負い目、後ろめたさはありましたから、医師として治療には人1倍熱心に関わりました。そこにあったのは「私の代わりにやめさせたい」というすり替えでした。私が罪滅ぼしのために親身になったからといって断酒率は大きく変わりませんが、自分自身を勝手に患者さんへ投影していましたから「断酒して素敵な彼女と結婚ができた」とか「酒をやめて仕事がうまくいくようになった」といった話を聞くと、わがことのように喜んでいましたし、逆に酒を飲んで問題を起こすと。わがことのようにつらい思いをしていました。

焼酎1 〜2 合でほっとひと息ついてやめられるのは依存症ではありません。私のような依存症者は、それよりもっともっと深い酔い、ブラックアウト(停電中に明かりが消えて真っ暗になるような記憶の一時的欠落)を求めていますから、1〜2合では到底足りないのです。

ブラックアウトに近づいていくときに得られる周囲(世界) と一体化した高揚感は、なにものにも代えがたい体験です。この体験は限られた体質( アルコール依存体質)の人しか深く得られません。3合、4合、5合と飲み続けて泥酔すると、翌日はフラフラしながら出勤することになります。それではさすがに仕事になりませんから、その心配がない金曜日と週末だけ飲む。そのたびに記憶をなくす、あるはその手前まで泥酔するのが習慣化していたのです。

大量に酒を飲んだ翌日、突然1秒程度、意識がフッと遠のく体験もしました。これは「アルコール性てんかん」と呼ばれる離脱症状の前ぶれです。それを防ぐために、翌日も2〜3合飲めるときだけ大酒を飲むという知恵を働かせるようになりました。

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